おめでとう2☆
2006年04月03日
昨日は長女Sの誕生日。
思い返せば7年前、私の人生は思わぬターンニングポイントに
というよりその道へ進むしかなくて・・・
何十年経ってもこの日はそうだといえる日であろうと思う。
思い返せば7年前、私の人生は思わぬターンニングポイントに
というよりその道へ進むしかなくて・・・
何十年経ってもこの日はそうだといえる日であろうと思う。
社会人になって三年目の夏。
そのときの私は仕事に疲れ果てていた。
なんせ、睡眠時間3時間、寝ないでそのまま会社にいた日も
何日かあって、転職を考え始めていた矢先のことだった。
来るものが来ない。。。
そのときはそんな不規則な生活だから、体がおかしくなってるんだ。
と思い込んでいた。
でも、それにしても遅い。。。
試しに検査薬を使ってみると”陽性”???
すぐに近くの産婦人科へ行ってみる。
初めて足を踏み入れる産婦人科。
検診台。。。私は今にも泣きそうだった。
最初看護婦さんに遅れていること、そして検査薬で陽性だったこと。を伝えた。
そこの産婦人科は女医だと聞いていたので、不安の中にも唯一それだけが
安心できた、はずだった。
検診台へ上がると、「もうちょっと足を開いて!」「はぁ、もうちょっとさ!!」
極めつけは私の太ももをパチっと叩いた。
今思い出しても怒りより泣きそうになる。
内診ではなかなかわかりにくかったのか、
今度は超音波をやりはじめた。
そこで「じゃあお薬出しますから、しばらくすると生理がはじまると思いますから」
え!?私、妊娠してないの?????
不安がどんどんどん底になっていく中、看護婦さんに伝えたことを女医にも伝えた。
すると、「なんで早く言わないの!!!」と私に怒り出す。
そしてまた検診台へ。。。。。。
「あ、妊娠してますね」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はぁ?
泣きそうな私はここでは絶対泣かない!!とすぐに心の中で誓った。
病院を出るときも、私は絶対この病院で産むもんか!!!
と私はお腹の子を守る母の姿になっていたんだなぁ、今思えば。
そして、家へ帰ってからわんわん泣いた。
病院でされたことも悔しかったけど、これから先どうなるの~?という
不安とでいっぱいだった。
夜、5年付き合った当時の彼(っていうか今の旦那)を呼び出し、
ドライブに出かけ、そして打ち明けた。
じゃあ結婚しようと言われるのはわかっていた。
別にのろけでもなんでもなく、恋人というよりもほとんど家族みたいに
なっていた私たちだから、当たり前になっていた。
今まで妊娠しなかったのが奇跡であって、きっともうそろそろ年貢の納め時、
と神様が言ってるんだと思った。
それからの私たちは忙しかった。
結婚式・披露宴の準備、引越し。。。
やっと落ち着いたのは、出産まであと2ヵ月をきっていた。
そして予定日まであと1ヵ月。私は予定通り検診へ出かけた。
その前の検診から血圧が高くなってきてるから
気をつけてと言われていたのだけど、
不安は的中、「妊娠中毒症の疑いがでてきたので、すぐに入院です。」
初めての入院。
私みたいに妊娠中にトラブルがあって入院してる人も何人かいたのだけど、
ほとんどが出産入院。
病室のあちこちから赤ちゃんの泣き声が聞こえる中、
私ももうすぐ赤ちゃんに会えるんだ、頑張ろう。と何度もお腹の子に
話しかけては、自分を励ましていた。
でも、入院生活5日目にして、その周りの赤ちゃんの泣き声も
私にとっては耳障りになりふさぎこんでしまっていた。限界に達していた。
眠れない夜、とうとう看護婦さんに睡入薬をもらうようになった。
そして次の日の朝、先生に「このままでは体がもたないし、
もう36週に入ってるから帝王切開しましょう。」と言われた。
先生は「明日やりましょう」と言っていたのだけど、
「明日はエイプリルフールだから、明後日でお願いします!」
もうすぐ赤ちゃんに会えると思うと、さっきまでのふさぎこんでた私はいなかった。
出産って、普通分娩でやると思ってた私。
出産雑誌も帝王切開のページは飛ばして読んでたから、
帝王切開に関する知識は全くゼロ。
どうやるんだろう、と不安はあったけど、
やっぱり、もうすぐ会えるからという思いが強くて不安はなかった。
このときは終わったらあんなに痛いなんて想像もできないよね、確かに。
そのときの私は仕事に疲れ果てていた。
なんせ、睡眠時間3時間、寝ないでそのまま会社にいた日も
何日かあって、転職を考え始めていた矢先のことだった。
来るものが来ない。。。
そのときはそんな不規則な生活だから、体がおかしくなってるんだ。
と思い込んでいた。
でも、それにしても遅い。。。
試しに検査薬を使ってみると”陽性”???
すぐに近くの産婦人科へ行ってみる。
初めて足を踏み入れる産婦人科。
検診台。。。私は今にも泣きそうだった。
最初看護婦さんに遅れていること、そして検査薬で陽性だったこと。を伝えた。
そこの産婦人科は女医だと聞いていたので、不安の中にも唯一それだけが
安心できた、はずだった。
検診台へ上がると、「もうちょっと足を開いて!」「はぁ、もうちょっとさ!!」
極めつけは私の太ももをパチっと叩いた。
今思い出しても怒りより泣きそうになる。
内診ではなかなかわかりにくかったのか、
今度は超音波をやりはじめた。
そこで「じゃあお薬出しますから、しばらくすると生理がはじまると思いますから」
え!?私、妊娠してないの?????
不安がどんどんどん底になっていく中、看護婦さんに伝えたことを女医にも伝えた。
すると、「なんで早く言わないの!!!」と私に怒り出す。
そしてまた検診台へ。。。。。。
「あ、妊娠してますね」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はぁ?
泣きそうな私はここでは絶対泣かない!!とすぐに心の中で誓った。
病院を出るときも、私は絶対この病院で産むもんか!!!
と私はお腹の子を守る母の姿になっていたんだなぁ、今思えば。
そして、家へ帰ってからわんわん泣いた。
病院でされたことも悔しかったけど、これから先どうなるの~?という
不安とでいっぱいだった。
夜、5年付き合った当時の彼(っていうか今の旦那)を呼び出し、
ドライブに出かけ、そして打ち明けた。
じゃあ結婚しようと言われるのはわかっていた。
別にのろけでもなんでもなく、恋人というよりもほとんど家族みたいに
なっていた私たちだから、当たり前になっていた。
今まで妊娠しなかったのが奇跡であって、きっともうそろそろ年貢の納め時、
と神様が言ってるんだと思った。
それからの私たちは忙しかった。
結婚式・披露宴の準備、引越し。。。
やっと落ち着いたのは、出産まであと2ヵ月をきっていた。
そして予定日まであと1ヵ月。私は予定通り検診へ出かけた。
その前の検診から血圧が高くなってきてるから
気をつけてと言われていたのだけど、
不安は的中、「妊娠中毒症の疑いがでてきたので、すぐに入院です。」
初めての入院。
私みたいに妊娠中にトラブルがあって入院してる人も何人かいたのだけど、
ほとんどが出産入院。
病室のあちこちから赤ちゃんの泣き声が聞こえる中、
私ももうすぐ赤ちゃんに会えるんだ、頑張ろう。と何度もお腹の子に
話しかけては、自分を励ましていた。
でも、入院生活5日目にして、その周りの赤ちゃんの泣き声も
私にとっては耳障りになりふさぎこんでしまっていた。限界に達していた。
眠れない夜、とうとう看護婦さんに睡入薬をもらうようになった。
そして次の日の朝、先生に「このままでは体がもたないし、
もう36週に入ってるから帝王切開しましょう。」と言われた。
先生は「明日やりましょう」と言っていたのだけど、
「明日はエイプリルフールだから、明後日でお願いします!」
もうすぐ赤ちゃんに会えると思うと、さっきまでのふさぎこんでた私はいなかった。
出産って、普通分娩でやると思ってた私。
出産雑誌も帝王切開のページは飛ばして読んでたから、
帝王切開に関する知識は全くゼロ。
どうやるんだろう、と不安はあったけど、
やっぱり、もうすぐ会えるからという思いが強くて不安はなかった。
このときは終わったらあんなに痛いなんて想像もできないよね、確かに。
Posted by リカ at 10:56│Comments(0)
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